柏餅(かしわもち)

2012年04月08日
icon06 さて、桜の季節も過ぎ、いよいよ風薫五月ということになれば、 『柏餅』 の季節です。



face01 柏餅とは

柏餅は、平たく丸めた上新粉の餅を二つに折り、間に餡をはさんでカシワ(注:下記face01 柏餅の葉 参照)又はサルトリイバラの葉などで包んだ和菓子である。餡の種類は、つぶあん、こしあんのほか、みそあんがポピュラーである。(ウィキペディアより)

ということですが、泉州では一般的に柏餅といえば 『こしあん』 です。

また、よもぎ生地の柏餅には 『つぶあん』 が使われていることが多いようです。



 『みそあん』 に至っては食べたこともありません。

みそあんは砂糖利用以前の古い調理法の名残で、原型を平安時代の「葩餅(はなびらもち)」にまでたどることができるとも云われています。

柏餅を包む、柏葉の表を内側に包むのは、あんの柏餅で、葉の表を外側に包むのはみそとする区別が多いですが、みそあんの柏餅と見分けがつくように生地がピンク色になっている場合が多いようです。


 無料イラスト/素材のデザインバンク

「中部・九州など味噌餡が存在しない地域もある。」とありますが、近畿地方でも京都以外では見かけないように思うのですが。


face01  柏餅の由来

5月5日の端午の節句の供物として用いられる。カシワの葉(注:下記face01 柏餅の葉 参照)は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから、「子孫繁栄(家系が途切れない)」という縁起をかついだものとされる。

元々は東日本の文化の中で育まれたものであり、柏餅が登場したのは徳川九代将軍家重(在位1745年~1760年)十代将軍家治(在位1760年~1786年)のころ。参勤交代で全国に行き渡ったとされている。(ウィキペディアより)

このあたりのことは歌舞伎座メールマガジン江戸食文化紀行
http://www.kabuki-za.com/syoku/bkindex.html
 NO.35 、 NO.60 に詳しく説明されています。

享保の改革と寛政の改革という厳しい時代の間、田沼意次の文化に対する締め付けの緩い時代に生まれたのは偶然ではないような気がします。

寛政の改革の頃は  高橋 克彦著 『だましゑ歌麿 』 では、幕府から和菓子屋に対しても随分厳しい締め付けがあったように書かれていました。

face01 柏餅の葉

『かしわ」は古くは、食物を包んだり、覆ったりした植物の葉の総称で、「炊葉(かしぎば)」の転じた語ではないかと言われています。

「柏」の字は本来はヒノキ科の針葉樹コノテガシワを指す漢字で、コノテガシワは柏餅に使う葉とは全く異なる。柏餅に用いるブナ科のカシワには、厳密には「槲」の字を使うのが正しい。

 コノテガシワ

 ブナ科カシワ

四国地方などの近畿圏以西では、カシワの木が自生しておらず、元々端午の節句にはちまきを用いるため、サルトリイバラ科(サンキライ)の葉を代用して作られることが多い。地方により名称が異なる場合もある。

一般に包んでいる葉は食べない。(ウィキペディアより)


face01 上新粉とは

それでは、柏餅の生地に使われている 上新粉 とは、どうゆうものでしょうが?

上新粉(上糝粉、じょうしんこ)は、うるち米 を加工した粉である。元々の表記は上糝粉。

精白した うるち米 を洗って乾燥させた後、少量の水を加えて製粉してふるいわけしたもので、主に製菓材料として使用する。非加熱の材料であり、製品にするには加熱の過程が必要となる。

目の粗いものを 新粉(糝粉、しんこ)・並新粉(並糝粉)、細かいものを 上新粉(上糝)粉、更に細かいものを 上用粉(じょうようこ)という。用途は以下の通り。

 新粉  団子・すあま等

  上新粉 団子・柏餅・ういろう等

☆ 上用粉 薯蕷饅頭に配合。薯蕷粉(じょうよこ)とも云う(ウィキペディアより)

 団子


 ういろう

face01 最近の柏餅

 二つ折りではなく、生地の中に餡を包んでいます。

 昔は生地には上新粉のみを使っていたようですが、近年はこれに白玉粉を加えるのが、一般的なようです。

face01 白玉粉とは

もち米 を水洗後、水に浸してから水切りし、水を加えながら挽く。その乳液をふるいにかけ、沈殿したものを圧搾脱水し、天日乾燥させたもの。白玉団子などの材料に用いられる。粉の粒子が小さいので、出来上がった白玉はつるりとした食感となる。(ウィキペディアより)

face01 白玉粉を混ぜる効果

白玉粉を混ぜることによって、従来の上新粉が持っている歯ごたえの強さに粘りが加わった生地ができるといえます。



face01 上新粉や白玉粉などの米粉についてはいずれまた書いてみたいと思います。

Posted by 安儀製餡所 at 23:23 あんこ豆知識コメント(0)

道明寺粉

2012年03月24日
face01 道明寺粉

それでは、そもそも桜餅に使われている道明寺粉とはなんでしょうか?【以下、つれづれ化学草子(http://chem-sai.web.infoseek.co.jp/sosi_kareii.htm)を参考】

 桜餅 道明寺

 hana3 道明寺粉とは

和菓子の材料として用いられる道明寺粉は、道明寺(大阪府藤井寺市)の尼が乾燥した糯米(以後 糒『ほしい』と呼ぶ)を挽き、粉状にしたのが始まりという。主に桜餅などの和菓子の材料とする。河内は良質の「糒」の生産地として知られていました。

 道明寺粉

 それでは糒(ほしい)とはどういうものでしょう。?


face01 糒(ほしい)

 hana3 在原業平

 在原業平

まず皆さんが糒(ほしい)と聞いて最初に思い出すのが、伊勢物語の「東下り」の段で在原業平が糒の上に涙をこぼしてふやけてしまうという場面だと思います。

 hana3 米を備えておくので「糒」

糒とは、今で言うところの、携帯用のインスタント食品で 炊いた糯米(もちごめ)を蒸して日に干したもの、水や熱湯を注いでやわらかくして食べ、軍糧あるいは旅の携行食として重用されました。鎌倉時代よりは「糒」の漢字が使われるようになりましたが、それ以前には 「乾飯(かれいい)、干し飯」(ほしめし・ほしいい)」 とも呼ばれていました。もっとも「乾飯」も「ほしいい」と読むことができたのですが、鎌倉時代の頃にはすでに「糒」に変わっていたようです。

 乾飯の表記は、日本書紀の「可美乾飯根命(うましからひねのみこと)」や出雲風土記にも見られ、神代から携帯食とされていたことがわかります。 乾飯(かれいい)の読みが古代からあったらしいことは日本書紀の記述からも明らかですが、米を備えておくという意でしょうか、次第に「糒」(ほしいい)と表記されることが多くなってきます。

古くは炊き過ぎた米を保存するためにも利用されました。また、米以外にも粟や黍の糒も存在していました。


 hana3 兵糧としての糒

乾燥させてあるので軽く、雑菌も繁殖しにくい上、水を加えさえすればすぐに柔らかくなるのですから、旅先の携行食料品としてとても便利なものでした。さて、便利な携帯食品である乾飯は、合戦に備えて調達される兵糧としても用立てられ、兵糧といえばもっぱらこの糒のことを意味しました。

戦場におもむく兵士にとって飯の炊き上げは、敵にその存在を知らせるようなもの。また、あらかじめ炊いて乾燥させた飯は軽く、餅のようにカビることもないので、移動しながらの戦に必要不可欠な携行品でした。

戦況不利でいよいよ籠城となれば、大量の糒が城内に運び込まれたといいます。攻撃する側としては、城内の兵糧が底をつくまで気長に待つ、いわゆる兵糧攻めが行われたわけです。

 さて、戦時下では重宝された「糒」も戦国時代が終わって天下泰平の江戸時代となると、兵糧用の使い道がなくなり、菓子などに転用されるようになります。

これ以後の多彩な和菓子文化は兵糧の払い下げとその活用から生まれたものと考えられるわけです。

 hana3 糒の現在

 戦前までは、家庭でも残った白飯をむだにしないために、乾燥させてとっておき、炒り揚げてあられなどにするということが普通に行われており、糒の歴史は米食の歴史そのものに重ね合わせて考えることができます。

しかし、重宝がられてきた糒も食料の安定供給が図られた現在では次第に食べられなくなり、、桜餅などの和菓子
や、「おこし」などのお菓子の材料として、今に至っています。


face01 桜餅 道明寺派 の歴史

 hana3 桜餅 道明寺派の起源

次にそれでは、上方では桜餅に道明寺粉を使ったことに何か必然性があったのか?考えてみたいと思います。

上方で道明寺粉を使って桜餅を作るようになった起源は次のように言われています。

道明寺(どうみょうじ)は、道明寺粉を用い、桜の葉で包む桜餅。京菓子にも見られ京風桜餅ともいう。

享保二年(1717年)から、評判を博していた江戸の長命寺にならい、平安時代に存在した椿餅(つばいもちひ、つばきもち)という餅菓子の特徴を取り入れて作られた物のようである。大坂では北堀江の土佐屋に天保の頃(1830年から1843年までの期間)に現れたという。

 桜餅 長命寺


 hana3 椿餅(つばいもちひ、つばきもち)

椿餅(つばいもちひ、つばきもち)は平安時代に、軽食代わりとして食べられた餅菓子で次のように説明されています。

平安時代の菓子は唐菓子と言って中国伝来の揚菓子がほとんどだが、桜餅のように団子を植物の葉で挟む形式などが珍しく、この椿餅は日本独自のものでないかと言う見解もあるが定かではない。その説に従うなら、これが和菓子の起源である。

『河海抄』*(かかいしょう)の記述によれば、「もち米を乾燥させて臼でひいて作った餅粉(現在の道明寺粉)を甘葛の汁(甘葛煎(あまずらせん)で練って団子のようにし、椿の葉で包んだもの。」とある。

現代の菓子のように日常的な間食に用いる物ではなく、貴族の館で大規模な蹴鞠の会が催されたときに参加者に配られていた。

*河海抄(かかいしょう)

四辻善成著の全20巻20冊からなる[1]源氏物語の注釈書である。もともとは貞治年間(1362年から1367年まで)の初めの頃に室町幕府第二代将軍足利義詮の命令によって作成し献上したとされたものであり、宮中での源氏物語の講義の内容をまとめたものとされる。現在写本などの形で見られる「河海抄」はその後も四辻善成が長年に渡って考察を書き加えていったものと考えられている。また四辻善成は、後年に本書の秘説32項目を別冊化した『珊瑚秘抄』を作成している。

(ウィキペディアより)

 hana3 現代の椿餅

現在、椿餅は1月~2月頃、和菓子店の店頭に並ぶことが多いようです。甘味料が甘葛煎(あまずらせん)から砂糖に替わり、餅の中に餡が入るようになり、今に伝えられています。

極端に言えば、これに生地を桜色に着色し、包んでいるものを椿から桜の葉に換えれば 桜餅 道明寺 になります。

なお、桜餅の作りかたは次の通りです。

材料は塩漬けの桜の葉、道明寺粉、小豆の餡。葉の塩は水で抜く。水を吸わせた道明寺粉を蒸し上げる。砂糖は蒸した後で混ぜるか、水に溶いて吸わせる。餅を平らに広げて餡を詰め形を整え、桜の葉で包む。色粉は粉か砂糖水と混ぜる。

 椿餅


face01 桜餅 と 柏餅、椿餅

さて桜餅と同様餡の入った餅を植物の葉で包んだ代表的な和菓子があります。

そう 柏餅 です。

柏餅(かしわもち)は、平たく丸めた上新粉の餅を二つに折り、間に餡をはさんで柏の葉などで包んだ和菓子です。


 柏餅

元々は東日本の文化の中で育まれたものであり、柏餅が登場したのは徳川九代将軍家重(在位1745年~1760年)十代将軍家治(在位1760年~1786年)のころ。参勤交代で全国に行き渡ったとされています。

したがって年代順に言えば

① 桜餅 長命寺 1717年 

② 柏餅 1745年~1786年

③ 桜餅 道明寺 1830年~1843年

となります。

ここからはあくまでも私の推論です。

この順番からは影響としては、椿餅 ⇒ 桜餅 道明寺 とは言いきれず、椿餅 ⇒ 柏餅 ⇒ 桜餅 道明寺
とも考えられます。

つまり、まず最初、江戸で上方の椿餅の影響を受けて餅を柏の葉で包む「柏餅」を作られる。それから上方で江戸で評判の「桜餅」を作る際に「椿餅」、「柏餅」の特徴を取り入れた「桜餅 道明寺」が生まれた。

さて、前述したように戦国時代では重宝された「糒」も天下泰平の江戸時代となると、兵糧用の使い道がなくなり、菓子などに転用されるようになります。

これ以後の多彩な和菓子文化は兵糧の払い下げとその活用から生まれたわけですが、ここで、江戸と上方の政治、経済的な違いが関係していると考えられないでしょうか?


いくら天下泰平の江戸時代といっても江戸は武士中心の社会であり、当然有事に際しての備えが必要であり上方に比べて糒の需要が多かったと考えられないでしょうか?

逆に上方は、商人中心の社会であり、有事の備えとしての糒の需要はほとんど無くなり、江戸よりも菓子などに転用される度合いが多くなり多彩な和菓子文化が生まれた。

以上、あくまでも私の推論です。


 face01 道明寺

最後に 道明寺 そのものについて

大阪府藤井寺市にある真言宗御室派の尼寺で道明寺粉の由来にもなったという。
材料の寺。モチ米であんをくるんだ桜餅を「道明寺」、菓子用の糒を「道明寺糒」、粗く砕いた粉を「道明寺粉」と呼ぶのは、この寺の名に由来します。

道明寺周辺は、菅原道真 の祖先にあたる豪族、土師(はじ)氏の根拠地であった。道明寺は土師氏の氏寺土師寺として建立され、今の道明寺天満宮の前にあった。当時は七堂伽藍や五重塔のある大規模なものであった。

道明寺では、すでに平安初期、菅原道真の叔母覚寿尼(かくじゅに)によって菓子作りが始められていました。901年(延喜元年)、大宰府に左遷される道真がこの寺にいた叔母の覚寿尼を訪ね「鳴けばこそ別れも憂けれ鶏の音のなからん里の暁もかな」と詠み、別れを惜しんだと伝えられる。

(ウィキペディアより)

 道明寺

 菅原道真







Posted by 安儀製餡所 at 15:37 あんこ豆知識コメント(0)
手亡豆について の記事に写真を追加します。

Posted by 安儀製餡所 at 17:38 あんこ豆知識コメント(0)

桜餅

2012年03月19日

関西では奈良東大寺のお水取りが終わり、お彼岸が来て、春の選抜高校野球が始まると、いよい

よ春到来となります。

毎年、3月の終わりから4月第一週あたりが、桜の見頃です。

今ほど世知辛くなかった頃は、新入社員の最初の仕事は夜のお花見(宴会?)の場所取りでした。

そして、阪神競馬場でクラシックレース第一弾の『桜花賞』が行われる。最後は造幣局の通り抜けで幕を閉じる。

これが、関西のお花見シーズンの定番スケジュールでした。

この季節に切っても切れない和菓子、それが 桜餅 です。


face01 道明寺 と 長命寺

私たち関西人からすると 『桜餅』 と言えば、当然、道明寺の方なのですが、調べてみて初めて違う 『桜餅』 

があることを知りました。

ここでは、両者の違いを All About「電子辞書・辞書・事典」 、 ウィキペディア を参考にして簡単にまとめました。

hana3 関西風=道明寺(どうみょうじ)

道明寺粉(もち米を蒸して乾燥させ粗挽きしたもの。大阪の道明寺で作られたため道明寺粉という)で皮を作り餡を包んだ、

まんじゅう状のお餅。道明寺粉のつぶつぶした食感が特徴で、「道明寺」または「道明寺餅」と呼ばれています。関西ではこ

ちらが主流。




道明寺餅


hana3 関東風=長命寺(ちょうめいじ)

小麦粉などの生地を焼いた皮で餡を巻いた、クレープ状のお餅。享保2年(1717年)、隅田川沿い長命寺の門番・山本新六

が、桜の落葉掃除に悩まされて考案し売り出されたことから、「長命寺」または「長命寺餅」と呼ばれています。関東ではこち

らが主流。



長命寺餅



両者の違いを簡単にまとめれば下の表になります。



hana3 桜餅の葉を食べる、食べない

「長命寺」「道明寺」どちらにも共通するのが桜の葉の塩漬けで包んでいること。やわらかくて毛が少ない大島桜が主に使わ

れていて、9割以上が伊豆地方で生産されています。毎年収穫した葉を半年ほど塩漬けにしますが、塩漬けにすることでク

マリン(※)という芳香成分がうまれ、独特の風味を醸し出すのです


 http://sozai.maturika.net/cat6/post_90.html

大島桜

米印クマリンには肝毒性があるので多量に食べる場合はご注意ください。 


下の円グラフは「長命寺」「道明寺」それぞれで桜餅の葉を食べる、食べないを調査したものです。(All About「電子辞書・辞書・事典より
      



この結果から、 「道明寺」の桜餅の葉を食べる というのが、日本の多数派といえます。

ちなみに私は、「道明寺」桜餅の葉を食べない派です。

桜餅を包むことで桜の香りや塩気がついておいしくなるわけですが、葉の大きさに関西と関東の好みの違いがあり、関西で

は小さめのもの、関東では大きめのものが好まれているそうです。

face01 道明寺粉

それでは、なぜ関西では道明寺粉をわざわざ使うようになったのでしょうか?

次回は、この点について考えてみたいと思います。


Posted by 安儀製餡所 at 14:12 あんこ豆知識コメント(0)
お彼岸につきものの ’ぼたもち’ について


(c) .foto project



hana3 お彼岸 と 牡丹餅(おはぎ) との関係

なぜお彼岸におはぎをいただくようになったのでしょうか?これは江戸時代にさかのぼります。この時代に、お彼岸や四十九日の忌明けに食べる風習が定着したようです。


小豆の赤色には、災難が身に降りかからないようにするおまじないの効果があると信じられていて、古くから邪気を払う食べ物としての信仰が、先祖の供養と結びついたと言われています。



また仏教では、彼岸は、彼の岸として悟りの境地を言い、苦しみに満ちている此岸と対になる言葉として使われています。そこで彼岸中は仏道修行に励む訳ですが、日本では祖霊崇拝の慣習を合わさり、ぼたもちやおはぎを捧げ、先祖を慰め、自分自身の功徳を積んでいました。だから本当は、自分たちで食べるものではなかったのです。

暑さも寒さも彼岸まで」と言われるように、春の彼岸は農作業が始まる時期で、秋の彼岸は収穫の時期にあたります。よって、春には収穫をもたらす山の神などを迎えるためぼたもちを、秋には収穫を感謝しておはぎを作ったとも言われています。

hana3 ぼたもち と おはぎ 

現在では、おはぎ と ぼたもち は基本的に同じもので、違うのは食べる時期だけなのです。ですから、ぼたもちといってもあんこの中は お餅 ではありません。具体的には、もち米とお米を混ぜて炊き、すりこぎで 半つぶし(半殺し) にしたものです。

春の「ぼたもち」
夏の「夜船」
秋の「おはぎ」
冬の「北窓」

と季節によって呼び方が変わります。

現在は全く同じもので呼び方だけが違う両者ですが、以前は若干の違いがありました。両者の違いを簡単にまとめますと次のようになります。



hoshi2 季節

ぼたもちは、牡丹の季節、春のお彼岸に食べるものの事で、小豆の粒をその季節に咲く牡丹に見立てたものなのです。一方、おはぎは、萩の季節、秋のお彼岸に食べるものの事で、小豆の粒をその季節に咲く萩にに見立てたものなのです。

では、何故牡丹の方にだけ餅が付いたのでしょうか?その由来は、「倭漢三才図会」(江戸時代の百科事典)に「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」とあり、牡丹餅がぼたもちになり、萩を丁寧に言っておはぎになったというのが、最も一般的な説ということですが、この説明ではいまひとつよくわかりません。私の推論ですが、むかしは牡丹の季節、春のお彼岸に食べる時は、お米を 全殺し 、いわゆる お餅 にしていたのではないでしょうか?

hoshi2 おはぎ と ぼたもち の大きさ、形 

ぼたもちは、牡丹の花をかたどって丸く大きく豪華に作って、おはぎは、秋の七草の萩の赤紫の花をかたどって小ぶりで長めに丸められて作られたと言われています。



牡丹


hoshi2 おはぎ と ぼたもち のあんこ 

昔は、つぶあん か こしあん かは、あんの材料である小豆の収穫時期に関係があったのです

秋のお彼岸は、小豆の収穫期とほぼ同じで、とれたての柔らかい小豆をあんにすることができます。柔らかい皮も一緒につぶして使うので、つぶあんができます。
春のお彼岸は、冬を越した小豆を使うことになりますが、皮は固くなっています。当然固くなった皮をそのままに使っては食感が悪くなります。そこで皮を取り除いた小豆を使い、こしあんができます

よって春のぼたもちは こしあん で、秋のおはぎは つぶあん だったのです。しかし、今では保存技術の発達や品種改良により、春でも皮のまま使うことができる小豆が登場してしまい、この理由は意味がなくなってしまったのです。

hoshi2 半殺し と 全殺し

日本昔話や落語の枕で有名な 半殺し と 全殺し ですが、一般的にはお米のつき方のことです。ついた米の粒が残っているものを半殺し、完全にもちの状態までついたものを全殺しと呼びます。現在のおはぎ(ぼたもち)のお米は ’半殺し’ です。

しかし、完全にもちの状態までついたもの(全殺し)をぼたもち、ついた米の粒が残っているものを(半殺し)をおはぎと呼ぶ地域もあります。

ここに、ぼた餅という由来があるのではないでしょうか。つまり小豆と同様、秋のお彼岸は、米の収穫期とほぼ同じで、とれたての柔らかい米を半殺しにすることができます。

春のお彼岸は、冬を越した米を使うことになりますが、米は固くなっています。当然固くなった米を半殺しで使っては食感が悪くなります。そこで全殺し(餅)にしたのです。よって春は ぼたもち(餅) と呼ばれたと考えられませんか?


これも小豆同様、今では保存技術の発達や品種改良により、春でも半殺しで使うことができる米が登場してしまい、この理由は意味がなくなってしまったと考えられます。

また、一部の地域では、つぶあんを半殺し、こしあんを全殺し、本殺しまたは皆殺し、と呼ぶところもあるそうです。

hoshi2夏の「夜船」 と 冬の「北窓」

water夏のおはぎは「夜船」

おはぎ(名前がたくさんあって呼びにくいので、一般的にはおはぎと呼ぶことにします。)は、お餅と違い、餅つきをしません。よって杵でつかないので、「ペッタン、ペンタン!」と音がしないのです。

ということで、ペッタンペッタン音がしないので、お隣さんなどからするといつついたのか分からない。そういうところから、

→ 搗(つ)き知らず → 着き知らず、となり

夜は船がいつ着いたのか分からないことから「夜船」となったようです

water冬のおはぎは「北窓」

おはぎは餅つきと違い、杵でつかないのでペッタンペッタンと音がしない。だから、いつついたのか分からない、までは同じです。ここからの変化が違います。漢字に注目です。


 → 搗(つ)き知らず → 月知らず、となり

月の見えないのは、北の窓なことから「北窓」となったとのことです。

なかなか洒落ていますね。

*参考:All About「電子辞書・辞書・事典」旧ガイド

Posted by 安儀製餡所 at 00:33 あんこ豆知識コメント(0)

小豆の花

2012年03月04日
icon06 小豆の花を ご覧になったことがあるでしょうか?かくゆう私も実物は見たことはありません。





小豆は、7月末~9月にかけての40日間ほど優雅な花をつけます。 開花は早朝3時ころに始まって、陽が昇るころ満開とな

ります。

小豆の花が丘一面を埋めつくした風景はとても美しく雄大で、北海道らしい風景の一つです。

 しかし、一つの花の開花時間は短く、午前中で開花は終わり、 花はしぼみ、翌日には咲いた順に枯れていきます。

早く咲いた花ほど結実率は高く、 最後に近く咲いた花のほとんどは開花後、実を結ぶことなく落花していきます。

ふつう、小豆1株には30~40のサヤがつきます。 そのサヤには6~9粒の小豆が入っります。

 




 一度は現地に行って実物を見たいものです。

Posted by 安儀製餡所 at 07:44 あんこ豆知識コメント(0)

特別栽培小豆について

2012年03月03日
今回はHP でも紹介されている特別栽培小豆について説明します。




 



が、その前に有機栽培について少しふれておきます。

hana3特別栽培小豆の歴史

実は平成13年4月1日まで「有機小豆」と呼ばれる小豆が存在したのです。

JAS法によって平成13年4月1日から有機栽培に対する明確な基準が設けられるようになるまで、市場には 「有機~~」という農産物が氾濫していました。それらは玉石混合で現在でも有機栽培として通用するものから、化学肥料の代わりに数回
有機肥料を与えたもの、酷いものになると全く慣行農法通りのものもありました。

そのような状況の中、平成13年4月1日JAS法によって「有機栽培」は以下のように定義されたのです。


● 有機栽培

 「有機低農薬栽培」「有機減農薬栽培」などという紛らわしい表示が氾濫したので、JAS法によって平成13年4月1日から「有機」や「オーガニック」と表示するには、検査を受けて合格したものに限られるようになりました。JASマークが付いていないものには、「有機農産物」、「有機栽培」、「有機○○」等の表示をしてはならないのです。JAS法で有機農産物とは、「化学的に合成された肥料及び農薬の使用を避けることを基本として、播種又は植付け前2年以上(多年生作物にあっては、最初の収穫前3年以上)の間、堆肥等による土づくりを行ったほ場において生産された農産物」と規定されています

このJAS法に適合する小豆が存在しなかったため 「有機小豆」 と表示された小豆はなくなりました。

小豆が適合しなかった理由は以下の通りです。

Ⅰ 小豆は連作(同一の圃場で同一の作物を繰り返し栽培すること)が難しく、前年に栽培した別の農作物まで有機栽培で行はなければならなくなる。そこまで徹底することは経営的に難しい。

Ⅱ 100%無農薬で栽培するのは圃場に広さから害虫被害の危険が大きく難しい。

その結果、それまで「有機小豆」と表示されていたものは、無化学肥料栽培小豆、減農薬栽培小豆、減化学肥料栽培小豆
と表示されるようになりました。

その後、平成16年4月から「特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」が施行され、適合するものは特別栽培小豆と表示されるようになりました。

表示ガイドラインでは特別栽培農産物は、以下のように定義されています。

●特別栽培農産物  略称:特栽

 平成16年4月から「特別栽培農産物に係る表示ガイドライン」が施行されました。以前は、無農薬栽培農産物、無化学肥料栽培農産物、減農薬栽培農産物、減化学肥料栽培農産物と設定されていたのを、一括りの名称「特別栽培農産物」に変更されます。ガイドライン表示の対象となる農産物は、化学合成農薬、化学肥料双方を慣行の5割以上減らして栽培された農産物となります。「無農薬」、「無化学肥料」、「減農薬」、「減化学肥料」の表示は、改正後は表示できないことになりますが、ガイドラインには罰則がありません。

対象農産物は国産・輸入を問わず、野菜、果実、穀類、豆類、茶等であり、米については特に特別栽培米と呼ばれる。なお、減ずる対象となる化学合成農薬からは有機農産物JAS規格で認められている農薬(例:フェロモン剤等)は除かれている。

●有機栽培と特別栽培の違いは以下の通りです。 


 有機農産物が播種前2年以上及び栽培期間中に対象となる農薬・化学肥料を使用しなかった農産物のことであり、これに対して特別栽培農産物は栽培期間中に対象となる農薬や化学肥料を減じて生産されたものをいいます。また、播種前についての条件も存在しません。

なお、栽培期間中に対象となる農薬を一切使用しなかった(播種前の制限は無い)農産物は、「特別栽培農産物(節減対象農薬:栽培期間中不使用)」と呼ばれます。

当該農産物の生産過程等における節減対象農薬の使用回数が、慣行レベル(※注)の5割以下
当該農産物の生産過程等において使用される化学肥料の窒素成分量が、慣行レベル(※注)の5割以下

※注:慣行レベルは都道府県によって定められている。



hana3特別栽培小豆と他の北海道産小豆の実態

●栽培方法別による特別栽培小豆の分類

特別栽培小豆の中でも 「ホクレン」 より販売されているものは 「クリーン100」、「クリーン80」という商標で販売されています。これらの特徴は、生産過程等において使用される化学肥料の窒素成分量が0、あるいは慣行レベルの2割ということです。「クリーン100」は十勝地方、「クリーン80」は、旭川地方を中心に栽培されています。

 以下の図は栽培方法別による特別栽培小豆の分類をまとめたものです。






以下のグラフは北海道産小豆のうち特別栽培小豆と慣行農法により栽培されている小豆の生産量の内訳です。(H.22べース、ただし公式な統計は存在しないので推定です)

ご覧のように特別栽培小豆は北海道産小豆の生産量のわずか1%しかありません。





以下のグラフは特別栽培小豆のそれぞれの生産量の内訳です。(H.22べース、ただし公式な統計は存在しないので推定です)






hana3特別栽培小豆の長所と問題点

●長所

Ⅰ 現在市場に出回っている小豆の中でもっとも 安全・安心な小豆と言える。つまり流通経路の追跡が可能であり、また下の写真にあるように栽培の過程が明確に表示されて一目でわかるようになっています。

Ⅱ 次に最も重要な’味’についてですが、これは個人の主観が入るので一概には言えないのですが、私個人としては特別栽培の方が勝っていると思っています。弊社でもこれまでお客さまに何人も食べ比べていただいてきましたが、必ず特別栽培小豆の方を選ばれました。






●問題点

Ⅰ 栽培に手間がかかるため、価格が他の小豆よりも高い。二等小豆(※注)に対し特栽のプレミア価格として3,000~ 5,000円/60kg上乗せされている。

※注:一般的に市場で取引されている小豆の中で最高級の小豆

Ⅱ 農作物であるため、その年の天候その他の自然条件によっては、化学肥料あるいは農薬を特別栽培のガイドラインより多く投入しなければならない場合がある。その場合、特別栽培の表示はできない。

Ⅲ 現在のところ、科学的に慣行農法によって栽培された小豆との明確な優位性を示すことはできない。

Ⅳ 生産量が小豆全体の1%程度であり、供給能力に不安が残る。


hana3まとめ


上記で示したように現状の特別栽培小豆には問題点がたくさんあります。

特に一番多いのは「高い値段を払うだけの価値があるのか?」という点です。「特別栽培小豆が慣行農法の小豆に対し科学的に優れている点を示してくれ!」というお客さまもいらっしゃいます。今のところその質問に対する明確な答えは用意できていません。

 「高い価格に見合うだけの価値はない!」と判断される方、あるいは「有機栽培」ではなく「特別栽培」などという分かり難い表示では意味がないというお客さまがいらっしゃるのも事実です。

一方、自らの舌で判断して「やっぱりこの豆で作った あんこ はおいしい!」とおっしゃるお客さまがたくさんいらっしゃるることも事実です。

私としては、価格さえ折り合うのであれば流通経路の追跡が可能であり、栽培の過程が明確に表示されている特別栽培小豆は現行最も安全・安心な小豆であり、その味も含めてお客様に味わっていただきたいと考えています。




















Posted by 安儀製餡所 at 18:19 あんこ豆知識コメント(0)

手亡豆について 

2012年02月23日
さて今回は 手亡豆 のことを簡単に説明します。



face01 手亡豆と白あん

前回の白小豆の項では手亡豆のことを風味に乏しいとかまるで役に立たない豆のように書いていましたが、
決してそのようなことはありません。

世界に誇る日本の和菓子職人の技を裏で支えてきたのが手亡豆です。

手亡豆は色が白く、粘りがあるので手亡豆で作った白あんは、上生菓子を作るときに必要な 練り切りあん に最適です。


face01 練り切りあん

 練り切りあんとは白あんに砂糖を加え、やまのいも・みじん粉(注)などのつなぎを加えて練ったあんのことです。
そして、これを着色して季節折々の繊細な細工を施し、祝儀や茶席などに用いる上生菓子、ほかの菓子の生地としても用います。


みじん粉(注);寒梅粉とも呼ばれ、もち米を水洗いし水漬け後、蒸して餅にします。これを色がつかないように焼き上げて粉末状にしたものです。

皆さんが和菓子というと一番に思い浮かべる繊細で美しいお饅頭が上生菓子です。

    


face01 つぶあん

 また手亡豆はつぶあんとしてもおいしく、三笠や大判焼き(回転焼き)にもつかわれています。


大判焼きてぼ

つまり最高級の上生菓子から庶民的な大判焼きまで非常に守備範囲の広い豆といえます。










Posted by 安儀製餡所 at 14:54 あんこ豆知識コメント(0)
今回は こしあんと豆ペースト でふれた 豆皮 について少し説明したいと思います。

生あん(こしあん)を製造する際に豆皮が食品残渣として発生します。残渣とは濾過(ろか)したあとなどに残ったかすのことで文字通り豆皮がこれにあたります。

今のところ豆皮の処理方法としては次のものがあります。

① 飼料化
② 肥料化
③ 餡に混ぜる
④ 焼却処理
⑤ バイオマス原料

以下はそれぞれの問題点を考えてみます。

① 飼料化
現在日本では食品残渣を飼料化することが求められています。

その背景には

日本国内の飼料穀物はそのほとんどを輸入に依存している状況下にある一方、食品製造業、食品流通業、外食産業等からは食品製造副産物、余剰食品、調理加工残さ等が大量に廃棄され、その多くは焼却処理されていることが挙げられます。

これらの背景と地球環境問題や資源の有効活用の面から、食品残渣を飼料化していくことが求められているのです。

しかしながら、飼料化には次のような問題があります。

食品残渣飼料はその原料となる食品残渣の水分含有量が多く、常温では腐敗や臭気の発生等の危惧があるため、様々な
技術によって脱水し飼料化が取り組まれているのですが、それが高コストとなりその上保管、輸送にもコストがかかることから結果的に焼却処理されているのが実情です。

② 肥料化

次に食品残渣の処理として肥料化が考えられます。

肥料化にもさまざまな問題があります。まず食品残渣(豆皮)を肥料にするまで時間がかかることです。そしてその間臭気の発生が起こります。したがって肥料になるまで保管しておく広い土地と臭気の発生が問題とならないよう周りに住宅がないことが必要となります。そしてそのような施設の場合、輸送コストが高くつくのが現状です。

よって①, ②とも下のような関係になっており、結果焼却処理されることが多くなります。

食品残渣の脱水にかかるコスト、保管コスト、輸送コスト-食品残渣から得られる利益 > 焼却コスト

このような状況から残念ながら ③ を選択するところもあります。

弊社でも、以前は飼料化、肥料化を時期に応じて実行しましたが、保存や輸送にコストがかさむことから焼却処理していることが大半でした。

しかし現在は幸いにも、食品残渣(豆皮)は脱水後、キノコの菌床栽培(きんしょうさいばい)を行っている食品会社が菌床用に全量引き取っています。したがって食品残渣は現在は発生していません。

菌床栽培(きんしょうさいばい)とは、菌床(オガクズなどの木質基材に米糠などの栄養源を混ぜた人工の培地)でキノコを栽培する方法です。


脱水処理し菌床として使われる豆皮

⑤については今のところ夢物語です。

つまり現状は事業所の近くに飼料化、肥料化に適した飼育場、農場がない限り焼却処理されていきます。あるいは豆皮を磨り潰してあんに混ぜられています。

私としては、エコ好きの’あほな’政治家が「あんこは、つぶあんしか作らせない!」という法律を作らないことを願うばかりです。半分は冗談ですが、経験ではなく歴史から判断するのであれば、人類は「禁酒法」や「生類憐みの令」という悪法を生んできたわけですから。




Posted by 安儀製餡所 at 19:00 あんこ豆知識コメント(0)
白小豆について の記事に竹小豆の写真を追加します。

ぜひご覧ください。

Posted by 安儀製餡所 at 23:11 あんこ豆知識コメント(0)
くるみ餅とくるみあん の記事に ずんだ餅の写真を添付しました。

ぜひご覧ください。

Posted by 安儀製餡所 at 21:21 あんこ豆知識コメント(1)

こしあんと豆ペースト

2012年02月09日
 

現在でこそ,あんこ屋もいろいろな種類のあんこを作るようになりましたが、元々は和菓子屋さんが生あん(こしあん)を作るのが非常に手間がかかり大変だったため、生あん作りだけを代行することからスタートしました。

弊社では次のような伝統的な製造方法で生あん(こしあん)を製造しています。

①豆からあん粒子がこぼれないよう (こぼれた状態を豆が腹切れしているという) 煮豆するとともに豆の煮汁を丁寧に排出する。 

 
②煮豆から豆皮とあん粒子を完全に分離する。

③あん粒子を冷水に晒し攪拌し、上水(うわみず)と一緒に不純物を捨てあん粒子のみを抽出する。

④あん粒子を含水率(あんに含まれる水分の割合)約60%まで脱水する。

⑤脱水されたあんを粉砕する。(生あんの完成)

⑥生あんに砂糖、水あめを加え加熱する。

この伝統的な製法には次の問題点があります。

①晒しに大量の水を必要とする。

②食品残渣としてでる豆皮を処分しなければならない。

一方あんの中には豆を釜の中でぐたぐたに煮込み豆皮ごとすり潰して、まるで豆ペーストのようにし、これに味付けしたものもあります。
このような製法で作られたあんは、色が黒く食べても舌触りが悪く、苦味が残るものさえあります。
もちろん、この製法にも利点はあります。つまり水があまり必要でないし、豆皮もあまり出ません。ですから製造コストも安くなります。


しかし私としてはお客様に豆皮を食べてもらうのは気が進みません。豆皮に栄養があるという意見もありますが、それならば、つぶあんを食べればよいことです。

次の機会では伝統的な製法の問題点についてお話したいと思います。
Posted by 安儀製餡所 at 22:22 あんこ豆知識コメント(0)

白小豆について

2012年02月08日
今回は白小豆について書いてみたいと思います。

まず皆さんは小豆は赤いものに決まっているとお考えでしょう。

以前は「赤いダイヤ」とも呼ばれ、実際国内で生産されている99%は赤い小豆です。

しかし、白小豆のように白いものや竹小豆のように薄緑色(赤竹小豆を除く)をしたものも存在します。(99%と書きましたが、実は白小豆は正確な生産統計が存在しないので私の推測です。)


白小豆                 竹小豆

主な生産地域は北海道、岡山、兵庫、栃木県ですが、以前検索しているとオーストラリアというのもありました。

ブランドとしては備中白小豆と呼ばれる岡山産のものが有名で以前は弊社でも使っていたのですが、あまりにも価格の変動が激しく、いまは生産量が圧倒的に多く、価格も安定している北海道産を使用しています。

白小豆の特色としては、白い色(黄白色)をしているが、、食べた時の味はしっかりと小豆独特の風味ある味をしていることです。 

あんこでは白餡の原料には「手亡」をよく用いますが、手亡の白餡はさっぱりとして小豆に比べると風味に乏しいのが現実です。一方、この白小豆ならば、小豆の風味がしっかりと感じられ、尚且つ白いあんこに仕上がります。


手亡豆

問題点としては

希少で生産量が少ないため、価格が他の白い豆と比べ高価でしかも安定せず、時には信じられないぐらい高騰する。

本来が小豆の一種であるため白餡としてみた場合、色が白さの点で見劣りする(あんこの商品紹介 一般の方向け

 
以上の点を解消するために、白小豆と手亡をブレンドしている和菓子屋さんもあります。

また弊社では白小豆でをつぶあんを作っていますが、これも非常においしいですよ。


白小豆 つぶあん


Posted by 安儀製餡所 at 15:21 あんこ豆知識コメント(0)

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