小豆価格の高騰

平成28年に北海道に台風が3つ直撃したことにより北海道の農業は大打撃を受け、小豆も歴史的な不作となりました。

また、過去数年の豊作だったことによる小豆価格の下落、あるいは民主党政権時に実施された「農作物の戸別保証政策」に小豆が含まれていなかったことから小豆の作付面積が減少傾向にありました。

これに自然災害が重なり未曽有の凶作となり平成29年の小豆価格は高騰しました。

平成29年は小豆は豊作でしたが、農家にしてみれば戸別保証政策に含まれていて小豆より手間のかからない大豆を栽培した方が儲かります。結果、小豆の作付面積の減少傾向に歯止めがかからなくなりました。

このことから、繰越在庫もなくなり、小豆の価格は高止まりしたままです。

歴史秘話ヒストリア 「北の大地に夢をひらけ!お殿さまの北海道開拓史」

先日NHKの歴史秘話ヒストリアという番組で明治時代、北海道 現在の伊達市で小豆栽培に取り組んだ人たちの事が取り上げられました。

ここでは北海道の小豆栽培の歴史の一端を知ることが出来ました。

今でこそ北海道の小豆と言えば「十勝」が代名詞みたいに思っている人も多いようですが、実際は北海道全土で作られています。

北海道 伊達市での小豆栽培の歴史

番組のHPから引用しますと

今から150年前、農業王国・北海道の礎をつくった「お殿様」がいました。その名は「伊達邦成(だてくにしげ)」。あの伊達政宗の一族で腹心だった伊逹成実(だてしげざね)の子孫です。
  戊辰戦争で「朝敵」のらく印をおされ、領地を400分の1に削られるという絶体絶命のピンチに立たされた邦成は「北海道開拓」という成功するかどうかもまったく見えない未知の事業に、活路を見いだそうとします。

 家財を移住費用にあてた邦成たちは、北の大地に立ったとき、すでに丸裸同然でした。上の写真にある建物は、伊逹家が移住した頃の開拓民の住まいを再現したものです。移住者の中にいた職人が関わっていたそうなので、しっかりしたつくりの建物ではありますが、「布団が凍った」という記録もあるそうで、きっと大変寒かったのではないでしょうか。資材も食糧も満足に無いまま、当時の北海道で暮らす…まさに命がけだったと思います。

 
逆境としかいいようの無い邦成たちですが、伊逹家の人々は強い意志でこれらを乗り越え、北海道開拓を前に進めていきます。
  邦成が、切り開いた畑で栽培に力を入れたのは「あんこ」の材料である小豆と甜菜(てんさい 別名:サトウダイコン、ビート)。これが、伊達家の苦境を変えることになります。

 
伊逹邦成と家臣、その家族たちの奮闘によって「伊達市」の名まで残した“お殿さまの北海道開拓”。この大事業を支えたのは、殿様・邦成が人として基本的なこと一つ一つを決しておろそかにせず、誠実にのぞんだ姿勢だった。そしてそれが、魅力あふれる北海道を現代の私たちに残してくれた。―今回の物語をたどると、そんな気がしてなりません。


今でもたまにTVで旧民主党の政治家を見かけると腹立たしく思うことがありますが、思えば私たち製餡業者は伊逹邦成と家臣、その家族たちの恩恵に浴している訳で、彼らがしてきたご苦労から考えると小豆価格の高騰にも何とか立ち向かわなければと思いました。

邦成が栽培に力を入れた 小豆と甜菜ですが、はっきりとした根拠はないのですが、非常に相性が良いようです。

有機小豆と呼ばれていたものが存在していたその昔、連作が出来ない小豆をどの農作物の後に栽培すれば良いかという問題に直面しました。

いろいろな農作物で連作を行いました。
「結果、甜菜の次に小豆を連作するのが良いということになった。」という話をホクレンの関係者から聞いた覚えがあります。




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Posted by 安儀製餡所 at 18:34 あんこ豆知識コメント(0)
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